岩崎正裕×津村卓 対談
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- サントミューゼ
2016年4月6日 記者発表内 対談
岩崎正裕(劇作家・演出家)× 津村卓(サントミューゼ館長)
津村 兵庫県伊丹市にある「AI・HALL」という公共劇場のディレクターをされており、劇作家・演出家の岩崎正裕さんと、トークを進めさせていただきます。
岩崎 岩崎です、どうぞよろしくお願いいたします。
津村 岩崎さんも公共ホールのディレクターをされています。今日の対談では、芸術文化に関して、ホールや劇場に単純にお客様がたくさん訪れて、鑑賞して「あー、良かった」と満足して帰っていただければ良い時代ではなく、芸術文化がいかに多方面に力を発揮して行けるのかをお話してみたいと思います。
ここ20年ほどの時間軸だと思いますが、
劇場、ホール、美術館、博物館、図書館など文化拠点と言われている場所の役割が大きく変化しています。
芸術文化に関する、劇場法といわれる「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」
というものが平成24年に施行されました。
それによって劇場やホールは何をしていかなければならないのかということが明確になってきました。
それはどういうことかと言いますと、
音楽や演劇、ダンス、美術などの芸術文化を好きになってもらう。さらには、より身近に感じてもらったり、
一歩深く踏み込んでもらったりするために行動する。
もう1つは劇場から外に出て、教育であれば子どもたちの育成、福祉であれば高齢者や障害者の方々が
社会との接点をどのように見いだすのか、どうコーディネートしていくのか。
そのために芸術文化が潜在的に持っている力をどう発揮していくのか。
一番広い世界で言うと、まちづくりにも芸術文化がツールとして使われるようになってきました。
そういう意味で芸術文化というものが、いろんなところに関わりを持つようになっています。
この法律によって劇場と地域が広く、深く関係性を築けるのではないかと感じています。
そこで、岩崎さん。ちょっと長い振りをしてしまいました。
岩崎 はい
津村 サントミューゼでは2015年に「実験的演劇工房2nd」に携わり、上田市内の高校生たちと作品を作りました。それまで高校の演劇班同士で交流は無かったんですよね?
岩崎 そうですね。
津村 そういったところから交流を育み、短期間で演劇を制作・発表しました。そんな経験をふまえ、地域と芸術文化拠点に対する岩崎さんのお考えがあればお聞かせください。
岩崎 まずは関西の話からしましょう。
私は現在兵庫県伊丹市にある「AI・HALL」という公共劇場のディレクターをしています。
実際に何をしているのかと言えば、プログラムやアウトリーチの戦略など財団の職員の方たちとともに考えています。
ここは演劇に特化した市立の演劇ホールなんです。
立ち上げは1987年、ここにいる津村さんが20代の時に立ち上げられたものです。その理念を引き継いで今に至ります。
ありとあらゆるアウトリーチを行って、例えば高校生向けの催しや、高齢者、ほか一般の方への敷居をどう下げるのか模索しています。
一方で伊丹市は19万都市ですが、なぜこのホールが期待されているのかと言いますと、隣りに大阪市があります。
大阪市は現在、ほどんと芸術文化が生まれていない状況です。政治的な背景で、文化施設にとっては辛い時代を迎えました。
そうするとどこに芸術文化を求めるかと言うと、越境して「AI・HALL」に上映集団や、東西の劇団の交流の場として移ってきているという現状があります。
結局芸術文化に出来ることって何かと言えば、その場所にいることを肯定してくれる力だと思うんです。それはサントミューゼで高校生と演劇を作った時にも思いました。
例えば多くの高校生は、大都市圏に行かないと芸術文化に触れられないと未だに思っています。
でも今ある場所で芸術文化に触れられる体験が出来れば、地域でもしっかりとした芸術文化というものを盛り上げていけるんだという人生観や、未来への展望を持てる機会になったと思います。
今は世の中全体が喚起的な方向に流れていると思います。
例えばサントミューゼの「実験的演劇工房2nd」では、美術館の中で演劇をしました。
最初のうちは高校生もおっかなびっくりだったんですが、横断的に美術館も、こどもアトリエも巻き込んで進めて行くと、最初のうちには展示や制作した作品に触れていいの?と不安げな様子だったのが、次第に美術館の方がその気持ちを受け止めてくれて、結果高校生もいろんなものに触れることが出来ました。
つまりルールはルールとしてありながら、自分たちの創造性で空間を変えていける力、これが最も地域に、あるいは人間に求められていることではないかなと。それを実感したのがまさに「実験的演劇工房2nd」だったわけです。
私の持っている演劇観が、そこあったと思いました。
津村 なるほど。そもそもワークショップは、意味のある遊びともとらえられますよね?
岩崎 そうですね。初年度は、まずワークショップを体験してもらうという段階で高校生が集まった時、他校の高校生と触れ合う機会がそれまで設けられていなかったんですね。さらには私のような、何をやっているのか分からない大人が突如やってくる。先生でもない大人とどう付き合えば良いのだろうと模索すると思うんです。
そこから高校生たちには台本も書いてもらったし、即興劇もすると伝えて、出会ってから1週間で準備をしました。
期間中は高校生たちの創造性がぶつかり合うのではなく、融和して1つの作品になっていきました。それが1年目のおもしろいところだったのかなと思います。
津村 演劇とかダンスが持っている潜在的な力の前に、今の子どもたちって大人と付き合うのは親か親戚か、学校の先生くらいですよね。
そういう意味で言うと、こんな大人がいるのか!とおどろくようなアーティストと向き合って、その人たちと一緒に何かをするという事が子どもたちにどれだけ選択肢を与えているのか。
もう1つは子どもたちにとってはサントミューゼのスタッフも、アーティストも、子どもたちと真剣に向き合います。子どもたちからしたら、大人がこんな真剣に自分たちに付き合ってくれるのか!と感じるきっかけになると思います。
一般的には、そういう環境は少ないでしょう。
良い意味でルールがある遊びに対して、こんなにも付き合ってくれるという新しい体験の中で、地域の高校生をはじめとする若い子どもたちが、そこで何を感じてくれるのか。またはどう創造を喚起させていくのか。
芸術文化が持っている潜在的な力で、どうやって地域の中に落とし込んで行くのかが地域における文化拠点の大きな仕事なんだろうなと思っています。「演劇がこんなにおもしろいでしょ」というのは結果論ですから。
岩崎 そうですね。
津村 もちろん有名な方が来られる公演も大切です。20年前ならそれだけでも良かったんです。しかし時を経て、それだけではダメだという流れになってきました。岩崎さんはアーティストとして、どのように地域と付き合っていますか?
岩崎 20年前は、ワークショップは教えに行かなければいけないものでした。でも本来は全くそうではなくて、初めて参加される方と私たちアーティストがフラットに何かを作っていける場をどう創るかだと思っています。
この前の「実験的演劇工房2nd」でも最初は、高校生が受け身で「何でも言ってください」という空気でした。ある日、お母さんの役作りで、兵士に誘惑するシチュエーションを高校1年生が作らなければなりませんでした。その時に僕は、「ほら、そこで胸にもっと手を触れてさ」とか「もうちょっと、いい声出して」とアドバイスしたんです。すると、「私、高校1年生なんです。そんなことは良く分かりません!」ときちんと抗弁してくれたんです。
そういうやり取りをしていく内に、ものすごくうまく関係性が築けたんです。そのように地域に入って行った時にも同様で、「あなたはアーティストかもしれないけれど、私たちにそんな無理な要求されたら困りますよ」というところからスタートし、僕たちが実現しなければいけない芸術文化があるのだろうなという可能性ありきの事業だと思います。
津村 なるほどね。先ほども紹介しましたが、岩崎さん自身もホールのディレクターをされていますよね。「アーティストが地域と」と「劇場が地域と」の両面を理解されていると思います。そこでディレクターの立場として劇場が地域と関わるには、何が必要だとお考えですか?
岩崎 個人的な見解になるんですが……、もちろん芸術文化事業は盛り上げていかなければいけない。
ただ、まだ市民の皆さんは芸術文化を高みに置いているような気がするんです。
芸術文化が市民の生活に、どう必要なのかを分かってもらうことが大事だと思います。今の時代こそ、そういったものが必要だと思っています。なぜなら日本の経済的な動向は、沈下傾向にあります。そういう時に人間は何をすべきか、何によって活力を生み出すのかを考えると、芸術文化でしか生み出せないと本気で思える時代が来ていると思うんです。
人間を人間たらしめるものは、芸術文化であるということを、若い時から理解していく必要があります。これからどんどん狡猾になって、管理的になるなど悪い方向に向かって行くと思いますが、それらを食い止められるのが音楽であり、演劇であり、美術ではないかと。
美しいものを見れば、人は心が動きますから、そこを立脚点にして自分たちの生活を考えるということに文化拠点となる劇場やホールは機能しているのかなと思います。
津村 全く同意見です。今日は時間が無いので、かぶせるのは止めておきますね(笑)。
ところで最近、アーティストにワークショップをしてもらえればいいじゃん、といった風潮が気になっていまして。けれでも実際アーティストというのは、ワークショップをするために存在しているのではなく、自分の表現活動をして発表していくことが本来の姿です。
ただやはり、良い作品を作れる人たちが、本当に良いワークショップを生み出していくなという感想もあり、持っている力をどうやって提供していけるのかなんだと思うんです。
岩崎さんは、自身の劇団をお持ちですよね?
岩崎 はい、太陽族という劇団です。1982年に旗揚げしたので、30年以上やっています。
しかし誰もテレビで売れている人はいません。みんな地道に演劇活動を続けています。
ただ、おそらく劇団活動をしているみんなは、誰よりも一生懸命やっているという自負は持っているはずです。そこにはテレビに出ている、出ていないという優劣では全く無いんだという事です。
私は社会的な題材をベースに作品づくりをする劇作家・演出家でもあります。
今度サントミューゼで上演する作品についてお話しても良いですか?
津村 もちろんです。僕が先ほど何を伝えたかったかと言いますと、岩崎正裕さんの本来の活動についてなんです。
サントミューゼのレジデント・アーティストで来ていただいた方々には、ワークショップやアウトリーチ活動をしていただいてますが、最終的には本来のアーティストとしての活動をどうサントミューゼでやっていただけるのかが大事だと考えています。
岩崎 かいつまんで次回の作品をお話しますと、PTAのお話なんです。
ベースになっているのは映画「十二人の怒れる男」です。その12人の男の設定を、PTAにしたらどうなるんだろう? 単純にそれだけなんです。
つまり、現代の日本社会で合意形成がいかに難しいか。
実際に最近では、PTAのなり手が少なくて、機能しない体制になってしまうそうです。それを作品の中に落とし込んで、お母さんたちが会議でしゃべるんです。
そうすると、「私は今日仕事があるのに、なんでこんなに決まらないの?」なんて声も出だします。
そういった点から日本社会が抱えている他者への不寛容だとか、人権の問題などに話が横滑りして終わる展開です。
津村 それは経験談が入っているんですか?
岩崎 そうですね。私の妻の経験談が半分ほど入っています。実際に取材もしています。
作品では7人のPTA執行役員が登場して、合意をするためにがんばるんだけど、結局は会長だけが無理してしまうというね。
日本社会を代弁しているような作品です。
この作品を上田市に持ってくるにあたって、担当のスタッフの方には上田市に住むお母さんたちとワークショップがしたいとお願いしています。
子どもたちが学校に出かけている間にサントミューゼまで出かけていただいて、実際にお母さんたちの声を聞き、それを反映して私たちの芝居でその声をお届けすることで、何かしら有機的に演劇の可能性に発展していくのではないかと考えています。
津村 楽しみにしております。ふだん太陽族の公演は大阪とか、東京が主でしょうか?
岩崎 そうですね。どちらかといえば西日本のほうが多いです。上田市では初お目見えとなります。
津村 そういう点からも、ご期待いただければと思います。
今日はこの辺で終了となります。劇場が地域とどのように向き合っていくのかという点についてお話を伺いました。
岩崎さん、今日はありがとうございました。
岩崎 こちらこそ、ありがとうございました。